今日も お立ち寄り頂きまして、ありがとうございます☺️  ご常連様達、楽しいお時間をありがとうございました。充実した日にしてもらい 大感謝⭐️タイミングが合わなかったお客様も、またの機会にお会いできましたら嬉しく思います。   今日は、再勉強も兼ねて山口県に旅行に行った話③を。  【瑠璃光寺五重塔(香山公園)】この塔は、1399年の応永の乱で敗れ、自害した大内義弘(よしひろ)の菩提を弔うため、弟の盛見(もりあきら)が建立したもの。嘉吉2年(1442年)頃に完成したとされ、室町時代中期を代表する建築の一つとして国宝に指定されています。 高さ31.2メートル。檜皮葺(ひわだぶき)の屋根と、上層にいくほど細くなるすらりとした姿が特徴です。実際に目の前で見ると、本当に美しい……。私は夕方前に訪れたのですが、精巧で緻密な造りがよく見える時間帯で、ちょうど良かったです。正直、この美しさは写真では伝わりきれないなと。実際に観ることでしか得られないものがありました。公園内のベンチに座り、五重塔をゆっくり、少し長めに眺めておりました☺️   ここで、少し大内家の歴史を。 大内氏のルーツには、百済の聖明王の第三王子・琳聖太子(りんしょうたいし)が始祖という伝承があります。その後、多々良氏を称し、平安時代末期頃から「大内」を名乗るようになったとされています。 室町時代には山口を本拠に西日本で大きな勢力を誇り、京都の文化と朝鮮・明など大陸の文化を融合させた、独自の「大内文化」を花開かせました。 では、なぜ大内氏はこれほどの財力を持っていたのか?周防・長門という豊かな領国を支配していたことに加え、瀬戸内海・日本海の海上交通を押さえ、朝鮮や明との貿易にも積極的に関わったことが大きかったとされています。貿易によって得た富だけでなく、そこからもたらされた大陸の文化や技術を山口に取り入れたことで、山口は「西の京」と呼ばれるほど栄えていきました。 しかし1551年、重臣・陶隆房(すえ たかふさ)らによるクーデターで大内義隆(よしたか)が自害。その後、家督を継いだ大内義長(よしなが)も、1557年に毛利元就に攻められて自害し、大内氏は滅亡しました。  話は戻り、香山公園には、前回お話しした萩藩13代藩主・毛利敬親(たかちか)の墓所「香山墓所」もあります。敬親は幕末、藩庁を萩から山口へ移しました。こんもりとした円形の盛り土のようなお墓で、東光寺・大照院で見た毛利家の墓所とはまた違った形でした。 そして、もう一つ興味深かったのが「枕流亭」。幕末、薩長連合を進めるため、薩摩藩の西郷隆盛らと長州藩の木戸孝允らが密談を行った建物です。もともとは別の場所にあり、移築を重ねて現在の香山公園に。当時としては、かなりモダンな建築だったのではないでしょうか✨  五重塔だけではなく、毛利家の墓所や幕末ゆかりの建物まで。香山公園は、歴史好きにはたまらない、見応えのある公園でした☺️   皆さんは、歴史などはお好きですか?   次回は、明日 水曜日を予定しております。ご来店を心よりお待ち申し上げております🌸  本日も一日、お疲れ様でした。どうぞ ゆっくりとお身体を休めて、素敵な夜をお過ごしください🌙  白川 りん